孤独の先にあるものは究極の世界:孤独力を高め準備する

孤独の先にあるもの

孤独の先にあるものは「究極の孤独」である。

このように聞いてほっとしたような気持ちになる人と、恐ろしいような気持ちになる人がいるだろう。世の中にはいろいろな考えを持つ人がいるものである。

日常生活の中で、常に人と一緒でないと行動できない人がいる。「一人ぼっちだと思われたくない」ようである。

会社で昼ご飯を共にしている人を、実は好きではないなどという女性もいる。一人で食事をしていると「一人ぼっちで友達がいないのか」と思われて嫌なのだそうである。好きではない人でも食事を共にして、自分は一人ぼっちではない事を周りにアピールしているようだ。

共に食事をしている人が会社を休むと分かっている日には、昼食時に一人になってしまうのが嫌で自分も会社を休んでしまう、という多少病的な人すらいる。

それに対して常に一人で行動している人がいる。昼食中も、一人で文庫本を読みふけったりしている。そういう人には確かに周りも一定の距離を置いて接しているように思う。人と群れる事が好きではないのだろうと思うからだ。

さて、前者と後者はどちらが「孤独」なのだろう。「孤」も「独」も「ひとり」という意味である。二つ重ねてくるとは、一人ぼっちの極みのような漢字の構成であるが、不思議と前者の方が孤独に見えはしないだろうか。

孤独と言うのは、その人の周りを取り巻く人数とは関係ない。後者は一人ぼっちかも知れないが、そういった状態に充足しているようである。ひょっとしたら後者は「孤独」とは言わないのではないか?

今回は「孤独の先にあるものは究極の孤独」という見解をさまざまな角度から検証してみたいと思う。

記事の内容

  • 孤独の先にあるもの
    まずは孤独度をチェック
  • 本当の孤独を知り、孤独の先にあるものに向かう
  • 「本当の孤独」についての格言
  • 孤独のほうが幸せ、という真理
  • 孤独の先にあるもの:寂しさとは違う
  • より自分らしく生きるためのチャンス
  • 自由とセットではない
  • 孤独力のある人は自分自身と対話が出来る
  • 成功者は皆、孤独である
  • 孤独の先にあるものは究極の孤独。ならば孤独力を高めよう
  • 総括

執筆:TANOKUN
母子の絆:困窮する母子家庭の救済・一人親の支援

孤独の先にあるものを知る前に、孤独度をチェック

孤独度をチェック

三菱総合研究所の調査によると、日本で一番孤独を感じているのは26歳の女性なのだそうである。結婚する友人が増え始め、自分が取り残されているような気持ちになるようだ。

ここで言う孤独は「人と同じことが出来ていない寂しさ」という事であり、友人が見つけた人生の新しい選択肢を「良いもの」だと思っているので、その選択肢をまだ持っていない自分が「取り残された」気持ちになる、という孤独である。

参照:三菱総合研究所「生活者市場予測システム(mif)

どうやら「孤独」の概念は人によって違うものらしい。そんなわけで、チェック項目に当てはまらないから孤独ではない、とは言えないかも知れないがまずチェックしてみよう。最近は孤独をひとつの能力と捉え「孤独力」などと称しているらしい。

参照:ウーマンエキサイトより「あなたの孤独力はどのくらい?」

ここで挙げたチェックテストは「誰かと一緒にいない事を孤独という」という考え方に基づいたチェックテストのようだ。他にも「孤独」の考え方が異なるチェックテストがネットにはあるのでいろいろやってみるとよい。

本当の孤独を知り、その先にあるものに向かう

さまざまなチェックテストに挙げられるように、孤独の考え方は複数あるようだ。

少し寂しいだけでも「孤独だわ~」という人もいるだろうし、孤独すぎてその事を口に出せないほどだ、という人もいるかも知れない。

本当の孤独とはどのような事をさすのだろうか。格言を通じて考えてみると、真逆の道筋が見えてきた。

本当の孤独を知り、その先にあるものに向かう

「本当の孤独」についての格言

哲学者や思想家の間でも、本当の孤独について昔から思いをめぐらせているようで、多くの格言が残されている。ここでいくつか挙げてみよう。

「最も不幸な事、それは一人でいられない事」

ブリュイエール(フランスのモラリスト・作家)

「意志もまた、一つの孤独である」

カミュ(フランスの作家・哲学者)

「他者を知る事は知恵。自分を知る事は悟り」

老子(中国の哲学者)

「最高のものを求める人は、つねにわが道を行く。人間は最高のものを決して共存しない。幸福になろうとする人はまず孤独であれ。」

ハーマーリング(オーストリアの詩人)

「孤独は山になく、街にある。一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の"間"にある。」

三木清(日本の哲学者)

ここに挙げたものはごく一部であり、他にも孤独に関する格言は多くある。格言とは言うが、一個人の主観に他ならないので、孤独を肯定的に捉えたものと否定的に捉えたものの両方が存在する。自分の気持ちに近いものを心の支えにするのも悪くないだろう。

孤独のほうが幸せ、という真理

先に挙げた中で、「最高のものを求める人は、つねにわが道を行く。人間は最高のものを決して共存しない。幸福になろうとする人はまず孤独であれ。」というハーマーリングの格言が非常に興味深い。

人は所詮「個」の集合体なのだ。親子であってもそれは同じである。他の誰かと気持ちの隙間もないほど同じ考えでぴったり寄り添うなど不可能なのだ。

たとえそれに近い状態を作り出せたとしても、ハーマーリングの言うように「最高のもの」は共存しないのだ。最高のものはオンリーワンなのである。

それならば「個」独である事を理解し、孤独力を上げて我が道を邁進した方が、目先の孤独に囚われるよりよほど健全で幸せなのではないだろうか。

孤独の先にあるもの:寂しさとは違う

よく、寂しさと孤独を混同する人がいるが、寂しさというのは孤独の上澄みのようなもので、「なんとなく」感じるものである。

「季節が秋になったら何だか寂しくなった」「お祭りの後の帰り道が寂しい」「1人で留守番をするのは寂しい」というような類である。

孤独の先にあるもの:寂しさとは違う

それまでの賑やかさとのギャップで生じる事が多いので、孤独というほどの深刻さはない。

寂しさを感じても、家族と一緒に過ごしたり、翌日学校でクラスメートにあったり、休み明けで仕事が忙しかったりすると自然に紛れてしまうような気持ちである。

そしてそのような「紛らしてくれるような存在」がありがたく思えるようなものなので、こういった寂しさはあっても良いのではないかと思う。

より自分らしく生きるためのチャンス

自分の抱えている気持ちが「寂しい」程度ではなく「孤独」なのだと感じた時、自分らしく生きられるためのチャンスが同時に到来している。

大勢の人に囲まれていても孤独を感じる時、それは「誰も自分をわかってくれない」と思う時だろう。その大勢に自分を理解してもらうなど、元々無理な話なのだ。所詮は他人である。

より自分らしく生きるためのチャンス

初めからそれを理解し、他人とほどよい距離感で付き合い、個をしっかりと確立している人は、孤独をきちんと受け入れ共存できている。

大勢の他人に理解を求めて期待しても無駄である。こんな時は自分に期待し、より自分らしく生きるためのチャンスと捉えようではないか。

自由とセットではない

他人に期待をしなくなり、他人の目などどうでも良くなってくると、気持ちの上ではかなり自由になる。気に入らない人とお昼を共にする理由もなくなる。もし本当に「あの人は一人でお昼食べていて、友達いないのかしら」と言われていたとしても、だから何だというのだ、という気持ちになる事が出来る。

むしろ「一人で食事をしている=友達がいない」などという浅はかな基準しか持ち合わせていないような人がどの人なのかが分かって非常に有益である。

他人に気を遣いながらせっかくの休憩を終わらせるより、一人で食事をして仮眠などとった後、読書でもした方がよほど心身の充実につながる。これが自由というものだろう。そしてこれは決して孤独な状態などではない。

孤独力のある人は自分自身と対話が出来る

このようにして自分一人の時間を作る事が出来るようになると、自分の心の声に耳を傾け自分自身と対話が出来るようになる。人の意見や顔色に左右される事のない、自分だけの価値基準が生まれる。自分で自分を受け入れ認める事ができるようになる。

本来これは、対人関係を築く為に欠かせない要素なのだ。

自分自身と対話せず、アイデンティティを見失ったまま人の意見に合わせて波風立てずに過ごしてきた人ほど孤独に陥る。そのような人は一度リセットして、孤独力を高める事をお勧めする。孤独力のある人ほど、人間関係を俯瞰でみる事ができ、他人との適正な距離をとる事ができるのだ。

一心同体という言葉はあるが、他人と一心同体になる事は出来ない。それであれば、結局は自分だけでなく誰もが孤独なのだと早めに理解し、自己を確立した方がよほど気楽に生きられるだろう。

成功者は皆、孤独である

成功者は、メディアなどで見かける時は、自信に満ちあふれ、孤独など寄せ付けないように見える。成功している自信を元に、築く人間関係も派手だったり、潤沢な資金でスケールの大きなことをやってのける。

しかし彼らは皆孤独である。孤独力のある孤独な人間である。成功者の気持ちなど、一般人には分からない。そしてそれで良いと思っている。

新製品開発のアイデアや、優れたプレゼン能力など、一般人と同じ感覚でいては一般人以上の事は出来ない。ゆえに周囲から理解されない。成功者に必要な要素の1つが「孤独力」である。成功すればするほど孤独を深め、成功者ほど「究極の孤独」を知る事になる。

総括:孤独の先にあるものは究極の孤独。ならば孤独力を高めよう

冒頭でも述べたが、孤独の先には究極の孤独があるのみだ。孤独に関する記事を、孤独を脱する為に読みたい人もいるだろう。

孤独を脱する為の方法が書いてあったとしても一時的に気が楽になるだけで、結局人は孤独から逃れる事は出来ないのだ。それならば孤独を理解し、孤独でいられる力を高めた方がずっと生きやすい。

孤独の先にあるものは究極の孤独

寂しさも孤独も内包している人の方が、人間力も魅力もあるのではないかと思う。

「孤独」は人間が生きていく上で必要な感情なのだ。孤独を感じなければ人間は好き勝手に他者を傷つけ、何の連帯も生まれないだろう。

「自分の行動が理解されずに孤独を味わった、そこから自分自身と対話し、自らを見つめ直してみた、そして孤独力を身につけ、もし他人が自分を理解してくれなくても自分なりのスタンスで他人と接していけばよいのだという強さを持つことが出来た」

こんなふうに孤独と共存出来たら、とても楽に生きられるに違いない。孤独を恐れる事はない。孤独だけはあなたに寄り添い、あなたを強くしてくれるのだから。

 

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