助けたい症候群(メシア)の人を助けたい心理や恋愛、助ける方法

助けたい症候群

「助けたい症候群」という言葉を聞いたことがあるだろうか?「症候群」というからには少々病的なもの、という定義になる。要するに「人助け病」という事である。

この世知辛いご時世に、人を助けたくて仕方がないとは何と奇特な話なのか…で済まされるものではないらしい。見返りは求めないのか?助けた相手に依存されたらどうするの?など、突き詰めて考えると、ちょっとしたホラーになるかも知れない。

人助けの権化になってしまうと厄介な問題を抱え込むことにもなりかねない。何事も中庸、ほどほどがよろしいのだ。今回は「助けたい症候群」についていろいろ調べてみたいと思う。

記事の内容

  • 助けたい症候群は別名「メシア症候群」
  • 助けたい症候群の根本にあるもの
  • 人を助けたくなる心理は3つに分類される
    ①助けて感謝される事に喜びを感じる
    ②人を助ける事が自分の使命だ
    ③助ける事で自分の存在価値を知ってもらいたい
  • 人を助ける気持ちをスピリチュアル的に言うと
  • 助けたい症候群の恋愛は共依存を生む
  • 男をダメにする
  • 助けたい症候群を治す方法は、自分を理解し認めてあげること
  • 人を助ける心は「援助行動」という
  • 人を助ける方法10選
  • 助けたい症候群の人が助けるべきは【自分自身】である
  • 総括

執筆:TANOKUN
母子の絆:困窮する母子家庭の救済・ひとり親の支援

助けたい症候群は別名「メシア症候群」

助けたい症候群は別名「メシア症候群」

「メシア」とは「救世主」の意味である。名称だけを聞くと壮大なスケールの症候群であるが、意味としては「誰かを助けたい」という気持ちを強く持ちすぎて、自分の生活が破綻しても人を助けてしまうという症状である。

こう書いただけでも、不穏な空気が漂う気がする。奥底にいびつな気持ちが隠れているのは間違いないだろう。年端もいかない子供に対してならともかく、大人は自立して生活するのが基本だ。誰かの助けも普通は要らないし、助けたいと思う気持ちも時と場合によって、である。

厚生労働省の令和元年7月の「自立支援に関する意識調査」によれば、地域や職場において、身近に障害や病気を抱えた人がいる場合に「積極的に助けようと思う」と答えた割合は76.9%である。

障害や病気を抱えている人がいたとしても、助けようと思う気持ちはこのような割合なのだ。「誰かを助けたくて仕方がない」という感情はかなり希少なものと言える。

参照:自立支援に関する意識調査

この「助けたい症候群」の問題点は大きく2つある。1つは根本的な問題、もう1つは心理的な問題である。

助けたい症候群の根本にあるもの

意識的・無意識に関わらず、症候群になるほどの「助けたい」は偽善だ。根本的には、助ける事によって起きる「相手を支配できる」または「自分がいないとダメだと思うほど必要とされている」という付加価値を求めている。

誰かが困っている時に、気軽に助け舟を出して「はいよ!」「お、サンキュー!」で終わるようなライトなお助けならば何の問題もない。助けた方も役に立って良かったと思えるし、助けられた方も有難いと素直に思える。この場合、前者と後者の関係は対等である。

助けたい症候群の場合は、同じ人を継続して助ける。そうすると、助けた方と助けられている方で支配関係が生じるようになる。

「いつも助けてあげているんだから」となり、助けられている方は頭が上がらなくなる。これがエスカレートすると支配関係になるという構図だ。もしくは、助けられている方が甘やかされているのと同じ状態になり、ワガママ君主が誕生。助けてあげている方がなぜか召使いのような形の支配関係になる。

ニュースでたまに見かける事があるだろう。かなり年上の女性が若い男性に対し、最初は献身的に生活の面倒をすべて見て、男性に感謝の念を植え付け、男性が逆らえないような状態になってから、悪事の手先をさせたり、「男性が言う事を聞かなかった」と監禁したり…これは助けた側が暴君と化した場合である。

反対に助けられた側が暴君となる場合の代表的なものはDVである。主人の日々の生活の世話は妻がしており、そのおかげで主人は毎日パリッとしたスーツにワイシャツで出勤出来ているにも関わらず、生活費はぎりぎりしか妻に渡さず、自分は趣味に多額のお金をつぎ込み、少しでも妻の態度が気に入らないと激昂し、時には手が出る事もある…。

こんなニュースも聞いたことがあるだろう。それでも、その後主人に謝られたりすると、「この人には私がいないとダメなんだ」などと思ってしまう妻もいる。

どちらの場合も「助ける」「助けられる」事をキーワードにしたマインドコントロール=支配なのだ。

人を助けたくなる心理は3つに分類される

助けたい症候群における「人を助けたい心理」は、

  1. 助けて感謝される事に喜びを感じる
  2. 「人を助ける事が自分の使命だ」と思っている
  3. 助ける事で自分の存在価値を知ってもらいたい

このように大別できる。どれも自己満足のように見えてくるのではないだろうか。

①助けて感謝される事に喜びを感じる

「助けて感謝される事に喜びを感じる」場合は、感謝されたい事が根底にあるので、その人が自分で解決出来そうなことでも首を突っ込んで助けてしまう。「自分で解決するからいいよ」という拒否の言葉は、助けてくれようとしている人に対して申し訳ないと思い、なかなか言えないものである。

そしてだいたいの大人は、助けてもらったらお礼を言うように育てられているので、助けた人にお礼を言う。これで助けた人の「自己満足」が出来上がる。

②人を助ける事が自分の使命だ

「人を助ける事が自分の使命だ」と思っている場合は、それはもう全力で助けてくれる。何しろ「メシア」なのだ。「何を置いてもあなたを助ける」くらいの気迫で助けてくれる。なので、お礼もものすごく深い気持ちで言わないとがっかりされてしまうかも知れない。

助けたい症候群の人は、満足いくお礼をされないと、分かりやすくがっかりしてしまったり、次には助けてくれなかったり、敵に回ってしまったりする事があるので注意が必要だ。

③助ける事で自分の存在価値を知ってもらいたい

「助ける事で自分の存在価値を知ってもらいたい」場合は、表現は控えめでもインパクトはしっかり残る助け方をする。

例えば、「仕事中に指を切ったので、席を立って洗面所にいって指を流水でキレイにして席に戻ったら机の上に絆創膏がそっと置いてあった」のような例である。指を切ったと大騒ぎしたわけでもなく、「あ、指切っちゃった」くらいの呟きで席を立ったとイメージして欲しい。それを聞き逃さず、さりげないながらもしっかりとアピールするような助け方をするのだ。

そんな場面に遭遇したら、その後の行動を間違えてはいけない。正解は「あ、絆創膏置いてくれてる!誰??だれ??あ、メシアさんが置いてくれたんだ!助かった~ありがとう!」のようにしっかりと大きい声で助けてもらった事へのお礼を言う、である。

助けたことで、自分の存在を確かなものにしたいのが③の場合なので、助け方そのものは控えめでも、お礼はしっかりと言われたいのである。

この3パターンから分かるように、「助けたい症候群」の助けたい心理は「助ける事で自分が満足したい!」という心理なのである。関心は自分自身に向けられている。

人を助ける気持ちをスピリチュアル的に言うと

スピリチュアルなものに興味がない人もいるかも知れないが、人の心には「波動」があると言われている。

「波動」と認識していなくても「テンション」と考えるとイメージしやすいかもしれない。

波動の高いものに触れるとこちらの波動も高くなり、逆に低い波動に触れるとこちらの波動も低くなる。

人を助ける気持ちをスピリチュアル的に言うと

人助けにおいては、邪念のない純粋な気持ちを波動の高いもの、裏に計算が働いているような人助けは波動の低いものとして受け手は捉える。なので、「助けたい症候群」のような気持ちで助けられるという事は、助けてもらっても何だかありがたみを感じない、という事になる。

スピリチュアルを日頃意識していなくても、こうした心の動きをスピリチュアル的に解説されると納得がいく時もあるものだ。

助けたい症候群の恋愛は共依存を生む

「共依存の温床は助けたい症候群だ」と言っても過言ではないくらい、助けたい症候群の人の恋愛はいびつな関係性を生んでしまう。

男女の恋愛関係は、ともすると支配関係になりかねない危険をはらんでいる。

お互いが相手の気持ちを尊重し、個を大切にする事で対等な関係を維持しているのが普通の恋愛関係だ。

助けたい症候群の恋愛は共依存を生む

助けたい症候群の人のように、最初から「お助け漬け」にして相手に楽をさせて骨抜きにしてしまうようなやり方では、対等な恋愛関係など築けるわけもない。いや、助けたい症候群の人は対等な関係など、そもそも望んでいないのだ。

自分はピュアな気持ちで相手に尽くしているつもりかもしれないが、尽くし続ける事で「自分がいなければ生きていけない」状態にしたいのだ。そしてそこが自分の居場所となる。

そういった、助けたい症候群の「恩恵」を受けた男性との間には、恋愛関係ではなく共依存関係が成立する。

男をダメにする

「至れり尽くせり」というのは、たまにある旅行の際には嬉しいおもてなしであるが、「至りすぎ尽くしすぎ」が日常になれば、自分で何も考えなくなっていき、何が必要で何が不要なのか、ひいては何が正しくて何が間違っているのかさえ考えなくなる。考えなくても、助けたい症候群の女性と一緒にいればラクだからだ。たとえ無意識にせよ、これはマインドコントロールの一種だ。

世間一般の常識に当てはまらなくても、互いの間で通用する論理ならばそれで良い、という考え方になり、それが共依存に繋がる。助けた側である女性の対応によって、相手は暴君にもなり得るし、子供のように無力化してしまうかもしれない。何事も「過ぎたるは猶及ばざるが如し」なのだ。

冒頭にも述べたが、ほどほどがよろしいのだ。

助けたい症候群を治す方法は、自分を理解し認めてあげること

助けたい症候群を治す方法は、自分を理解し認めてあげること

今、助けたい症候群から抜け出したいと思っている人にはすでに一筋の光明が見えている。助けたい症候群によって築かれる共依存の関係は、当人同士にとってはとても心地よいもので、そこから抜け出そう、と思う事は勇気がいるからだ。その勇気を持てているのであれば、未来は明るい。

他人を助けてばかりではいつか自分の心が破綻する。毎度毎度、自分の思うような感謝のリアクションがあるわけではないからだ。良くない相手に対しては、「助けたい」を搾取されるだけである。

穏やかに生きていくには、助けたり助けられたり、自分で解決したりとバランスよく配分する事が大切である。そのバランスを上手に取るためには「自分を理解し認めてあげること」が必要だ。

人からの感謝や評価によってしか自分の価値がわからない、という状況はとても辛いものである。誰にも感謝されなくても、誰にも評価されなくても、あなたは唯一無二のあなたなのだ。自分自身を認めてあげなくて、他人に対して何が出来るというのだろう。そんな心の状態で人を助けても、それは偽善なのだ。

自分の心に悲鳴をあげさせてまで他人を助ける必要は全くない。そんな助け方をしても、他人は決して心から感謝はしない。自分の心は自分で守っているのが大人だ。助けたい症候群を治したい人は、自分自身をきちんと認めて、自分の気持ちに耳を傾ける事の出来る大人になる事が必要だ。

人を助ける心は「援助行動」という

心理学的に言うと、人を助ける心は「援助行動」と言い、行動を起こす動機付けとしては助ける側のパーソナリティやその時の気分、社会的に公正かどうか、など生物学的、社会学的な要素が相まって起こるものなのだそうだ。その中には「利他か利己か」という事も含まれる。

自分の援助行動は、利他だったのだろうか、利己だったのだろうか。じっくりと考えてみるのも、助けたい症候群から脱する一つの手立てになるかも知れない。

人を助ける方法10選

人を助ける方法10選

「10選」などと言うと、何かのランキングのようであるが、調べていたら大変分かりやすかったので、聖書にある「人を助ける方法」を参考までに挙げてみよう。

  1. お金をあげる
  2. 物をあげる
  3. 時間をあげる
  4. 助けてくれる人を紹介してあげる
  5. 声をかけて励ます
  6. 気持ちを理解する
  7. 温かく見守る
  8. どこがいけないのか指摘してあげる
  9. 解決方法を教えてあげる
  10. 同じことを繰り返さないように予防する

何とシンプルな人助けだろうか。ここには尽くし過ぎで相手を依存させてしまったり、自らの心を破綻させてまで助けるような方法はない。①~③は度が過ぎると宜しくないが、度が過ぎていることが自分でも分かりやすい内容になっている。

他人を助けるとは、このような事で良いのではないだろうか。大切なのは、助けた事で相手の自立を促すことなのではないだろうか。

「天は自ら助くる者を助く」という言葉もある。自分で努力をする人に天は味方する、という意味である。自分でしっかり努力をしている人を応援するのが「助ける」にふさわしい事なのではないだろうか。

総括:助けたい症候群の人が助けるべきは【自分自身】である

「助けたい症候群」の人は、助ける事で自分が人から必要とされたり、人から認められたいのだという事がお分かりいただけたと思う。

「助けたい症候群」は他人を助けたいのではなく自分を助けたい症候群なのだ。

いつから、何故そうなってしまったのか、自分の心をきちんと見つめてあげるのが良いだろう。そうでないと、あなたの心が可哀想ではないか。

総括:助けたい症候群の人が助けるべきは【自分自身】である

他人よりも、あなたの心が最もあなたに助けを求めているかも知れないのだから。

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